安城七夕まつりと願い事

どうやって発展してきたのか

短冊のイメージ

仙台や平塚の七夕祭りと同等の知名度を誇る安城の七夕まつりはどのように進化してきたのかとても興味深いですが、駅前の商店街の皆さんの手によるものだという点は今も昔もなんら変わりません。
役所が主導して行われるイベントではなく市民が作り上げるイベントということで定着しておりますし、安城駅前の商店街の方々がいなければ始まらないお祭りです。 スタート直後は今ほどの規模ではありませんでしたが、年々参加者や参加する地域も増えて、昭和34年に安城七夕まつり協賛会が結成されると安定感も増したような雰囲気を漂わせることになります。
そしてそれから約20年後、昭和53年に安城七夕まつりの名を世界に知らしめる出来事がついに起こったのです。
この年は日本商工会議所100年記念の全国郷土祭もあり、そこで安城七夕まつり力作の竹飾りを展示したところ物凄く好評で、瞬く間に安城七夕まつりが世界レベルのイベントとして日本中に知れ渡ったのです。
それまで七夕まつりといえば平塚と仙台の2強でしたが、安城市もそれらに肩を並べる知名度をゲットする歴史的な出来事になりました。
東京都の駅前で通行人に「七夕のお祭りでいってみたいところはありますか?」と夕方にアンケートをすれば、回答者の80%は「仙台ですね」か「平塚かな」と答えるのが当たり前とされる時代が長く続いていたわけですが、昭和53年を境にその常識は塗りかえらるのです。 それ以降は「あなたの気になる七夕祭りはなんですか?」と名古屋市内の地下鉄の駅の出口でアンケートをすれば、「今は安城かな」という回答が年齢問わず増えてきて、注目度も高まってきたことが伺えたそうです。
竹飾りがきっかけで有名になったこともあり、安城七夕まつりは願い事を強く意識した企画が数多く存在します。 「願い事に力を入れて他の七夕まつりとの差別化を図ろうぜ」と企画会議で何時間話し合われたのかは定かではありませんが、明らかにこの点に特化したお祭りになっているので、いつも願い事が山ほどあるような方に人気が高いようです。
なにしろ今では願い事の書かれた短冊の数は日本一、いや世界一ではないかと言われていますし、それを吊るす竹の数でも世界トップクラスです。 もちろん願い事に関する企画も多く、願いごとキャンドルや願い事風船など一風変わったイベントも恒例行事となっております。 願い事でてっぺんを取る、その思いは年々強くなっているのか、ついにはお祭り広場と呼んでいたメイン会場を願いごと広場に改名してしまいました。 こうした拘りがいい方向へ安城七夕を向かわせたのか、願い事を胸に秘めた青少年や幼稚園児の視線を大量に集め、どんどん大規模な催しへと育っていきました。
誰しも人は願い事を持っていますしどうすればそれが叶うかをちょくちょく考えて生きているので、願い事が叶いそうなイベントがあったら放ってはいられずとにかく一度は向かおうとします。 本当にご利益があるのか確認しなければ、ひょっとしたらそううまくはいかないかもしれないけど自分の目で確かめずにはいられない、なんとしてもスケジュールを調整して3日間の間に1回は、あわよくば3回とも参加したいな、と考える人は安城市近辺以外にもけっこういるのです。
わざわざ名古屋市からやってきた、といった雰囲気でお祭りを楽しんでらっしゃる若者もちらほら姿をみかけますし、どことなく岐阜県からはるばる電車に乗ってきたっぽい姿をした新婚さんらしきカップルも毎年数組はいるようです。
これが願い事効果かは断言できませんが少なからず客足を増やしていることは間違いなさそうなので、きっとこれからもその方向で進化させようと新たな願い事企画も発案されるのでしょう。